創価学会
初代会長の牧口常三郎(まきぐち つねさぶろう)氏と第2代会長となった戸田城聖(とだ じょうせい)氏の二人が設立した「創価教育学会」を元に発足。
第3第会長の池田大作氏就任後から、一般会員への「財務」と称したお布施を強く求められるようになっていった。
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また「総体革命」と呼ばれる、政界、官界、言論界、教育界、法曹界、医療界など各界、社会全般への多数の創価学会員の人材育成および浸透の施策が進められ、現在ではその目的を遂げつつあると考えられている。
創価学会推薦の数十名の議員当選から政治参加が始まったが、やがて政党を立ち上げ、現在は与党に入るなどして影響力を強めている。
学会員のマスメディア業界への浸透、また創価学会関連出版物の印刷依頼や広告出稿等によりスポンサーとなり、その影響力を強めている。
現在、一部週刊誌を除き、創価学会に関する事件やスキャンダルがマスメディアで報道される事はほとんどない。
創価学会員の一般信者が、偶然とは思えない不幸な出来事に遭遇するケースがあるとの報告がある。
地域の座談会では、「仏敵」とされた人や「創価学会脱会者」が不幸な出来事に遭った場合にはその報告がおこなわれ、それを聞いた参加者は皆で拍手をして喜ぶ、といった事がおこなわれている、という報告がある。
創価学会脱会者であり集団ストーカー被害を受けている被害者が周知活動をおこなっていると、信濃町の創価学会幹部が監視をするために現れるという報告がある。
1991年に日蓮正宗から破門された時点で宗教法人の認証の前提条件を消失しており、現在の学会は集票活動を中心とした政治団体であり、会員から寄付を募り、墓苑やさまざまな出版物を売りつける営利団体となっている。
フランスにおいてはカルト団体として認定されている。
創価学会による生活保護費の不正受給疑惑
JTBがグループ社員に送った「創価学会様に選挙協力」
1930年 初代会長の牧口常三郎(まきぐち つねさぶろう)氏と第2代会長となった戸田城聖(とだ じょうせい)氏の二人が「創価教育学会」を設立。
1937年 「創価教育学会」が日蓮正宗の信徒団体として60人が集まり、発会式をおこなった。
1942年 会員は5000人近く増加。
1943年 戦時下の宗教弾圧により、最高幹部複数名が治安維持法違反と不敬罪で逮捕される。その後、会長の牧口氏は獄中で老衰死する。
1946年 「創価教育学会」から「創価学会」へ名称変更。
1951年 戸田城聖氏が第2代会長に就任。学会の再建に取り組み、現世利益を唱えた教えは、貧困に苦しむ大衆に受け入れられていった。
1954年 文化部を創設。「仏法を根底にした文化国家建設を目的に、そのために必要な政治・経済・文化・教育など、あらゆる方面での多彩な文化活動を推進する。」との宣言と共に、社会活動による世直し=政界進出の意思を表示した。
1955年 統一地方選挙で創価学会推薦による候補が立ち、都議1名、市議20名、区議32名が当選。以降、破竹の勢いで伸びていく。
1957年 参議院大阪府選挙区の補欠選挙をめぐり、組織ぐるみでの選挙違反事件を起こす(大阪事件)。個別訪問と買収の容疑で、青年部参謀室長池田大作氏他、数十人が逮捕・起訴される。
1958年 第2代会長の戸田城聖氏が死去。
1960年 池田大作(いけだ 大作)氏が第3代会長に就任。
(池田会長就任の真実、一般信者へ伏せられた内部対立)
1991年 日蓮正宗から破門される。
2014年11月 会則 – 教義の改定