財務について

創価学会はもともと金のかからない宗教団体であり、貧しい者からの寄付を強要することはなかった。
池田大作が会長に就任して以来、学会は財務主義を強め、学会員に多額の寄付を要求するようになった。
狂乱財務への引き金を引いたのは、2度の宗門との抗争とその宗門からの破門であった。

2度の宗門との抗争を契機に、日蓮正宗からの独立を模索し「カネは力」とばかり、財務に力を注ぐようになった。
第一次宗門戦争直後の1980年頃から三ケタ財務(年間100万円の寄付)を学会員に呼びかける。
財務は信心の証と指導されている学会員は、爪に火を灯すように生活を切り詰め、財務に励んだ。

1990年代に入り、学会が総本山大石寺から破門されると一層、財務は強化された。
四ケタ財務と称して、なんと年間1000万円の寄付を目標としたという。

その結果、莫大な浄財が集まり、各地に創価学会の会館が建ち、学会、公明党の施設が集まる東京信濃町近辺は、創価学会タウン化している。

とくに幹部や公明党議員は、率先して財務をすべきだと指導され、「学会首脳は家を持ってはならない」-これは池田氏による、幹部造反封じの一つの策でもあるようだ。

また財務で集まった資金は、池田大作氏が高価な絵画を収集するために使用されたり、各地に会長選用の施設を建設するために使用されたとの事である。

創価学会の財務活動