黒い手帖
元公明党委員長であり、創価学会員でもあった矢野絢也氏は国会議員生活27年間の出来事を手帖に仔細に書き留めていた。
矢野氏は政界引退後、政治評論家としての活動をおこなっていたが、1993年~1994年にかけて「文藝春秋」で7回にわたり手記を連載した。
この手記の内容について学会にとって好ましくない表現があるとして、学会側は不快感を示していた。
2005年4月20日、矢野氏は創価学会戸田記念国際会館で二人の創価学会首脳と面談した際に、「文藝春秋」の記事に対して「学会青年部は、この掲載論文で怒っている」とのコピーを突き付けられた。そして、これに対して謝罪文を書くよう泣き落としと脅しを駆使され、承諾させられた。
またその直後に「100万円寄付してくれ」と繰り返し言われ、数日後寄付する事になる。
謝罪文を提出後、聖教新聞に「公明党元委員長の矢野氏が謝罪」「私の間違いでした」「当時は心理的におかしかった」といった大きな見出し付きで謝罪内容が掲載された。
2005年5月14日、矢野氏が海外旅行から帰国後、戸田記念国際会館で再度「文藝春秋」に掲載した内容について問い詰められ、手帖に記載してある内容について(※)の説明・報告を強要される。
2005年5月15日、夕方に公明党のOB議員3名が自宅へ押しかけ、手帖を引き渡すよう要求する。
矢野氏に18日に引き渡すことを了承させ、一旦帰るが、一時間後に元公明党偽議員の重鎮に叱咤され、一時間後に矢野氏宅に舞い戻り、2002年~2004年分の3冊の手帖を押収後、家中の部屋を捜索したのちに帰宅。
この日以降、矢野氏には連日のように見知らぬ者からの嫌がらせ・脅しの電話がかかるようになり、自宅へ押しかけインターフォン越しに文句を言う者が現れるようになる。
2005年5月17日、残りの手帖と資料を押収するために前回同様公明党OB3名が矢野氏宅へ訪問、手帖と資料を押収する。
その後、家中の部屋を捜索し終わると、財務(寄付)をするよう勧告される。
2005年6月15日、長谷川副会長からの呼出しを受けた矢野氏は戸田記念国際会館で、長谷川氏他2名から吊るし上げを受けた。
矢野氏を持ち上げる一方で非難をし、「家を売ってでも2億、3億寄付すべきだ」と迫り、挙句の果てに銀行通帳を見たいとまで要求する。
2009年9月1日、最高裁判所は「プライバシーの侵害だとする矢野の主張を全面的に認め、持ち去った手帳の返却と合わせて300万円の支払いを命令とする」控訴審判決を支持、上告を受理しない決定を下し、実質矢野の勝訴、創価学会の敗訴が確定した。
2012年2月10日、創価学会側と矢野絢也氏が互いに提訴していた計4件の民事裁判で、双方が裁判所の勧告を受け入れ、すべての提訴を取り下げた。
※手帖に記載の内容:
言論出版妨害事件、ルノアール絵画疑惑、捨て金庫事件、富士宮市での墓地公園に関する百条委員会の抑え込み、他