捨て金庫事件
1989年6月、横浜市のゴミ処分場に、1億7500万円の入った古い金庫が捨てられていた事件。
7月、聖教新聞専務理事で、創価学会の金庫番であった中西治雄氏が、持ち主であると名乗り出た。
「1971年頃から総本山大石寺境内において「金杯」の売却で2億円の売上げで出た利益で、金庫に入れておいたが忘れてしまった」という。
「金庫は学会の知人から譲り受け、自宅が狭いので聖教新聞の地下倉庫に保管していた」
「法人登記はせず、個人で商売したもので、脱税の金」であった、と彼は述べた。
聖教新聞はこの言い分をほぼ追認し、中西氏個人の犯罪と断罪した。
しかし、中西氏の弁明には矛盾点があったとされる。
・札束には銀行の帯封が巻かれていた。(大蔵省印刷局の封緘印のついたものも存在した。大蔵省印刷局の封緘印がついているということは、市中に出回っていない未使用のお札であることを意味する。)
・また封緘印は中西氏が金杯を売ったとされる時期より1,2年前のものであった。
中西氏は学会の副会長に推挙されたが、本尊模刻事件(*1)に深く関わっていたため辞退をしている。
また「模刻事件の罪滅ぼしと思い、この捨て金庫事件を引き受ける」という内容の話を矢野絢也氏に話している。
*1 1975年前後、池田大作が本尊を模刻した事件。これがきっかけで宗門との紛争が勃発した。